「紙」の六法

先日、岩波書店が六法全書の発行を平成25年限りで終了するとのニュースが流れた。

https://www.iwanami.co.jp/topics/index_k.html

上記ホームページによると「インターネットの普及等により条文や判例へのアクセスも多様化した結果、大学教育等の場において六法の需要は低迷し、その在り方が問われる状況が現出していることも事実です。」とのことであった。要は「紙」の六法は売れなくなってしまったのである。

 同書店の六法のシリーズの一つの、「コンパクト六法」(平成21年版から「基本六法」とタイトルが変更されているが、便宜上「コンパクト六法」と表記する)は、私が大学に入学した年に発行された六法で携帯に便利なことや、大学の教授が推薦していたこともあって、私が最初に購入した六法でもあった。

 「法学徒たる者、六法は常に携帯して授業に臨み、毎年買い替えるのが常識である。」などと刷り込みを受けていたので、コンパクト六法だけは毎年買い替えていた。

 授業で教師が指摘した条文や教科書に出てくる条文を六法で確認し、必要に応じてアンダーラインを引き、備忘のメモを書き込む。そんな作業を繰り返しているうちに、良く参照している条文のページがよれて「使用感」が出てくるのがなんとなく気持ちがよかった。「自分は勉強している」という感じを客観的に確認できているような「自己満足感」があったのだと思う。

 そんな風に1年かけて手になじんだ六法も、毎年4月になると、新しい六法に買い換える。まっさらなページをめくっていくと正に「気分一新」という気持ちになったものだ。

 辞書でも同じだが、いわゆる「紙ベース」のものは、かさばるけれども探したい条項、条文だけでなく、関連する条項、条文の検索がし易い。他方で、電子辞書等の「電子媒体」は、ハンディな反面、検索はしづらい。両者はそれぞれを補完しあって共存できると思っていた。それだけに今回の岩波書店の六法からの撤退は少なからずショックであった。

 人類は利便性を求めて文明を進化させてきた。情報のアナログ(紙)からデジタル(電子媒体)化もその一つだと思うが、デジタルは書き込みもできないし、よれることもないから、紙のように自分の勉強してきた足跡も確認できなくなるし、電気が止まれば閲覧することすら不可能になる。

 「紙の本は重くてかさばる」、「情報はインターネットで取得できる」そんな理由で六法が売れなくなったのであれば悲しいし、「利便性」の意味をはき違えているような気がする(それに紙はリサイクルもできる優れた製品でもある。)

 まずは、アナログから学ぶことが基礎にあるのではないだろうか。こんなことを感じるのは、法律を学び始めた年に初めて購入した六法の刊行終了を知って、少しセンチな気持ちになっただけなのかもしれないが。

顧問弁護士 小屋喜裕

 

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